山梨県富士北麓忍野の名水と国産大豆、にがりで作る名代八海豆腐
★富士山と忍野村と豆腐
忍野村と豆腐を語る時、無くてはならない存在なのが富士山です。言わずと知れた霊峰富士ですが、度重なる噴火を経て現在の形になりました。忍野村はその昔、宇津湖という巨大湖が存在していました。この湖が延暦年間の大噴火による溶岩流で分断され、忍野湖と山中湖の二湖に分かれました。時代を経て、忍野湖は枯れて、その盆地状の窪地が現在の忍野村になったと言われています。
この時の地下に潜伏した水は何百年もの時を経て、自然濾過されて、現在の忍野八海をはじめとする、滋養、バナジウムを含有する富士山の湧水になりました。それは忍野八海と呼ばれ、後年、内野村(現在の忍野村)付近は、長谷川角行(富士山信仰である富士講の創始者)の修行に範をとった八海巡拝が盛んになりました。大正年間くらいまで多くの人々が忍野を訪れたと言います。
時代は明治になり内野村と忍草村が合併し、忍野村となっても、八海巡拝は続きました。その旅行者たちの食事として、豆腐が振舞われたのではないかと考えています。